馬籠峠越え〜神明、大妻籠
街道はいっかい県道に出てまたすぐ分かれて・・・この辺りの集落が
大妻籠。ここにも古い建物を使ったお宿が。ここのつたむらやさんは
学生時代の秋篠宮様、紀子様がお仲間とお泊まりにおなられ 、、、
…ろれり…らなれ…(◎_◎)て有名なお宿だそうだ。
大妻籠のはずれにある庚申塚。
近くに一里塚跡もあります。
大正12年の庚申塚や、安政2
(1855)年の馬頭観音なども。
大妻籠からはさらに急な峠道になって行きます。
飲み物など持ってきてない人はこの辺りで仕入れとかんとあと、頂上の峠茶屋までないっすよ。
大妻籠の庚申塚から県道をわたり道標から山中へ。
『木曽路はすべて山の中・・・』島崎藤村の生誕地馬籠とその本家に当たる妻籠の島崎家。
どちらも古くから本陣を務めた名家だったんだと。
藤村もこの石畳を踏みしめて行き来したんかね?・・・なんてことは少しも思わず(爆)、
えっちらほいと登っていきます。
馬籠峠越え〜下谷集落、馬籠峠
『木曽路はすべてや・・・』えっ?もうわかった?はいはい。。。
石畳がなくなるとほんとの山道って感じ。しばらくいくと道の左手にまたしても(?)庚申塔。
出雲街道や西国街道には少ない庚申塔や馬頭観音像があちこちにあって信仰文化の違いを
思わずにいられません(お、知的な発言)。
庚申塔、文政4(1821)年
馬頭観音像、天明6(1786)年
名号碑、宝暦3(1753)年
ここから少し歩くと下り谷の集落です。集落って言っても5〜6軒家があるだけですが…
しかし、なんでこんな所に住もうと思ったんでしょうかね?住めば都…なんでしょけど。
この集落にも古い道標。
向かい合うように建つ道標はどちらも天然石に字が彫られていて時代を感じます。
下り谷の集落を過ぎた所にあるのが倉科祖霊社。
天正14(1586)年松本城主小笠原貞慶の家来、倉科七郎左衛門朝記がこの地まで逃れてきて
ここで30人余りの家来と共に地元の土豪により全滅させられただだそうな。
その倉科さんの霊を祀ってあるところです。
下り谷の2つの道標。中山道、中仙道・右馬籠 左・妻籠の文字。建立年代不明。
倉科祖霊社
(全体を撮らんと解らんが?)さてさて、峠頂上まではまだまだありんす。
大河ドラマ「武蔵」を見てた方にはお解かりの
男滝、女滝や一石栃の白木改番所跡、
石畳の道など見所たくさん。
時間をかけてゆっくり登りまひょ。
男滝、女滝を過ぎて県道と旧街道が
交差する辺りの石畳の道。
道標は県道ができてからのもの。
鳥居峠にもここ馬籠峠にも新しい道標がたくさん。
昭和40年代に観光地にするための整備があってその時建てられたものがいっぱいあるみたいです。
何十年、何百年経って苔むしたり文字が読みづらくなったりしていい味出すんですかね?
もう少しで頂上だよん。。。
頂上の峠の茶屋の前に立つ馬籠峠の碑。
正岡子規の
‘白雲や 青葉若葉の 三十里’の句。
ここ馬籠峠、現在は海抜801mですが
昭和になって10mくらい削られたそうで
ほんとは810mくらいあったんじゃそうな。峠の茶屋で一休み。
御幣餅3本600円、
御幣だんご2本550円、
峠の力餅4個550円也。。。
馬籠峠越え〜峠集落、馬籠宿
ここからは一気に下りです(当たり前か!)。
アスファルトの道を少し下ったら旧街道は右へそれて峠集落へ入ります。
熊野神社や水車塚を見ながら馬籠の宿場を目指します。
旧街道と県道が何回も交差するので車に気をつけて歩きましょ。
峠集落を過ぎた辺りから道祖神が目に付きます。
その豊かな表情に疲れを忘れて思わずにっこりしちゃいます。
この辺り、なんか疲れてたんかなぁ?あまし写真撮ってない・・・(涙)
峠の集落とか、石畳の道とかあったんじゃが。
たかっちのお誤りコーナー!!あのですね、馬籠の写真が上の2枚しかありません。
言い訳かもしれんけど、馬籠って倉敷みたい。
何度も火事で焼けてしまってあまり昔のものって残ってないらしいですが・・・
なんか‘観光地っっ!!’って感じで。
高札場(左写真)が宿場の一番上にあって標柱(右)が一番下にあって・・・
結構坂道にある宿場なんですね。
一度下まで歩いて降りてまた上りながら写真撮ろうと思っとたら
下に降りたらもう上がる元気が無うてね・・・
バス停も上にだけかと思ったらちゃんと下からも出とって・・・あ、なんか広島弁丸出し(^^;)
ま、まぁそういうことです。次回必ず写真撮ってこよう!!
新茶屋
馬籠からバスで妻籠まで戻ってもう一度宿場町をブラぶら。
御幣餅を食べたり牛串焼きを食べたり・・・そうそう、忍ちゃんにお土産の曲げわっぱを買いました。
木曾檜の曲げ物で‘めんぱ’というそうです。おひつのちっちゃいやつ(2号)で¥2600也。
さて、第一目的の馬籠峠越えもしたことだし、家路に・・・の前に、もうひとつ。
馬籠から次の宿場落合に向かう途中の新茶屋地区へ。
島崎藤村の書による‘是より北 木曽路’の碑や、一里塚、信濃美濃の国境いの碑。
古い石畳などが残ってます。
今回の木曽路の旅はなんだかとても慌しく、写真もついつい石造物ばかり追ってしまって宿場町の様子や
皆様お待ちかねのB級グルメ情報(え?待ってないってか?)が少なくて少し反省。。。
ま、それもブラぶら…らしくていいか!って気もしますが。
時間が無くてすっとばしたところや美濃側の落合宿や中津川宿など・・・また必ず訪ねてみたいと思います。
さて、ここから広島まで何時間で帰れるやら・・・がんばれ!プレオ!!
お・わ・り。