原野地区の石碑郡など

宮ノ越を出たらR19に戻らずに旧道を進みます。
原野駅を過ぎて少し行くと無佐沢橋の手前左手に石造物郡。
その先、原野墓地入り口にも石碑がいっぱい。
道路建設や区画整理のときに近くにあったのを集めたらしいです。

無佐沢橋北石碑郡

寛政12(1800)年、庚申塔
享保8(1723)年、青面金剛立像
文化11(1814)年、石灯篭など

原野墓地入り口石碑郡

元禄4(1691)年、名号碑
正徳2(1712)年、観世音菩薩
文化2(1805)年、馬頭観音など

この石碑郡の写真撮ってるときに地元のおっちゃんが教えてくれたんですが、
中山道真中の碑なんてもんがあるそうでそれを目指します。
ってもすぐだけど…ここから数百m。ここからR19へ出ると道の駅、木曽駒高原。
ここから見る駒ケ岳は絶景!!

 
 
       中山道真ん中の碑                  絶景かな、絶景かなぁ〜!

  木曽福島宿

なんだか忙しい…だいたい木曽路を一泊二日で廻ろうって事が無理だったかも…?
あれもこれも見たいのに全然だめじゃん!
…という事でバタバタやってきた木曽福島宿。
上町交差点そばの駐車場に車をとめてブ〜ラぶら…ならぬ、バ〜タばた。。。
まずは福島の関所へ。入り鉄砲出女(懐かしい〜!)を厳し〜く取り締まったというだけあって、
当時の鉄砲手形や女手形などが残されてます。
広重と英泉の描いた木曽十一宿の浮世絵なども…

 宝女手形…よ、読める?

 女三人内髪切一人小女一人乗物貳艇
 従美濃国恵那郡岩村松平能登守殿
 江戸屋敷迄指越候申福島御関所
 無相違可有御通候右者能登守殿
 家来井野猪右衛門申者之母同妻
 同娘之由能登守殿断付如斯候也

 暦六丙子年三月六日 戸田釆女正

           福島御関所
                 御番中

 福島関所の西門??

関所を後に宿場町の風情を残す上ノ段の町並みへ。
西門からまっすぐが旧街道。右下のR19沿いにはお土産屋さんなどもあります。
上ノ段には立派な高札場も残ってます。
出雲街道の時はあまりなかった高札場。木曽路にはあちこちに残ってます。

 
         上ノ段の町並み                    高札場

上ノ段からR19に下りて関所方面に少し戻った右側に七笑酒造さんがあります。
ここの純米が最高に美味しいです。が、それ以上に粕漬けが美味しいんです。
胡瓜、大根…いっぱい試食してもうた…
粕漬け用にっていただいた酒粕でうちで漬けたのも美味しかったよ。
あ、でもこの酒粕数量限定みたいなんでいつもあるとは限らない…らしい。
他にも木曽川沿いの崖屋づくりの町並みや代官屋敷、木曽義仲のお墓など見所はいっぱい、
・・・なんじゃが急ぎの旅なもんで次の宿場を目指すでござるよ。

  上松、須原、野尻、三留野宿

たかっちのおあやまりコーナー!!
どうにもこうにも時間が無くて上松、野尻、三留野宿はすっ飛ばしちまいました。
町並みや石など、見所はたくさんあるんじゃが、またの機会に!!
But、須原宿は何とか立ち寄りましたよ…
これまでに立ち寄った宿場のような観光地ではないのでここもまたしっとりしていい感じ。
水場や本陣、脇本陣、がんきり格子と呼ばれる古い町家など街道風情もバッチリ。

 
       須原宿の町並み                  がんきり格子の町家&水場

宿場のはずれ、古寺定勝寺を過ぎて線路を渡り旧道へ。
伊奈川橋の袂に岩出観音分れの道標。時間があれば…定勝寺や岩出観音も見てみたい…

岩出観音分れ道標

この後野尻、三留野宿…七曲と言われる野尻の宿場や木曽駒の産地三留野宿。
高札や道標、庚申塔などなど、次回ぜひぜひ訪ねたいです。

    妻籠宿

妻籠といえばここ!
ってくらいどのガイドブック見ても
生駒屋さんの前が写ってます。
 妻籠についたのは5月4日。
古い町並みにもびっくりしたんですが
人が多いこと!!
GWだからしょうがないんだけどまさに
うじゃうじゃって感じで。
で、この日は疲れてたのもあってお宿、
大吉さんへ。
大吉は妻籠宿の一番北の
端っこにある民宿。街道に面したお部
屋はあいにく空いてませんでしたがこ
じんまりしてとってもいい感じでした。
お風呂も貸切のヒノキ風呂で、
カップルでイチャイチャするには
サイコー(?)です。
ちなみに一泊二食¥8000より。

   御宿大吉さん。夕食にイナゴが出ました(;¬_¬)
         お、美味しかったですぅ。。
この建物・・・最近建てられた物だけど、
妻籠らしくむかし風に造ってあります。
なので入り口がくぐり戸風なんですよ。
ま、そりゃそれでいいんですが
ちとひくすぎゃしませんか?
女将さんに『気をつけてね。』って
言われるのは言われたけど・・・
気をつけないこっちがいけんのじゃけど・・・
こ・・・こぶが。。。

さてこの妻籠宿、ガイドブックとかたくさん出とるんでそれを見てちょ。(手・・・手抜きじゃ( ̄▽ ̄;))
・・・ってな訳にもいかんので、あまり見かけない資料からひとつ・・・
 天保九年(1838)の『木曾巡行記』には妻籠宿について「寒気強く田畑も少なく宿立も悪敷(あしく)」
とあり、幕末から維新にかけてはすでに衰退していたようですな。
んで、明治23年(1890)に木曽川沿いに抜ける中山道(現、国道19号)ができてさらに、
1911年には国鉄中央本線が開通、どちらからも取り残された妻籠宿は
どんどん過疎化していくのであった(じゃじゃ〜〜ん♪)
が、しかぁし!!昭和43年南木曾町が妻籠宿の保存計画に着手。
「売らない、貸さない、壊さない」という住民憲章を作り保存を推進。
昭和51年(1976)に国の「重要伝統的建造物群保存地区」第1号に指定されてから
昔の賑わいを取り戻し始め現在、年間82万人の観光客が訪れる名所になったそうじゃ。
(めでたし、めでたし(^^))・・・な、なんかの文章をそのまま引っ張ってきた?って感じですが、
ま、そんなこんなで今のあの江戸時代をそのまま持ってきたような宿場町と街道が残ったんですなぁ。

 
       妻籠宿の町並みと高札場。ここから上がったところに御宿大吉。

 
   
    復元された本陣                宿場中央の枡形と常夜灯

 
   飯田道との旧追分とお地蔵さん         タイトルにも使ったお気に入りの1枚。

年間82万人っつったってGWでも人いないじゃん!と思ったあなた。
っちっちっち。この写真はなんと朝5時半に起きて撮ったものです。
全然人がいないってのもさびしいですが前日の昼間の人はまさにうじゃうじゃだったんで、
がんばって早起きしました。
 さて、宿に戻って朝食のとき女将さんに聞いたんです。
『馬籠まで歩いてどれくらい?』
『う〜〜ん、ゆっくり歩いて3時間くらいかね?』
そうです、木曽路のメーンイベント、馬籠峠越えです。
このために妻籠まで早足で見てきたんです。
車は大吉さんの駐車場に置かせてもらって、馬籠からはバスで戻る予定でいざ、
しゅっぱぁ〜〜つ!!

9時にはもう結構観光客がわさわさ。
宿場のはずれ、田島橋のたもとから
街道歩きのスタートです。
5月の日差しはぽかぽか・・・
というよりも、すでにぎらぎら(◎_◎)
荷物はみんな車の中。
リュックにはガイドと資料とペットボトル。
の〜んびりと、ブ〜ラぶら♪