木曽路はすべて山の中である。
あるところは岨づたいに行く崖の道であり、
あるところは数十間の深さに臨む木曽川の岸であり、
あるところは山の尾をめぐる谷の入口である。
一筋の街道はこの深い森林地帯を貫いていた。
贄川宿、平沢&周辺
木曽路の北の端、贄川宿。(あ、たかっちは北から責めました。)
ここに来るまでに2,3寄り道。この辺は中山道と野麦街道が合流している部分。
また、善光寺道と呼ばれることも…野麦街道は飛騨高山から野麦峠を通り中山道、
藪原宿で合流し塩尻で別れた後松本を目指します。まずこの分岐点、
塩尻に程近い洗馬宿の追分に向かいました。
諏訪湖畔で信州そばと馬刺しの夕食を食べて塩尻で一泊。
朝一番で洗馬へ。今回のブラぶら。。。は出雲と違いあまり下調べをしてないので
行き当たりばったりです。
んでも、追分はすぐわかりました。道標に<右 中山道、左 北国西往還>の文字…
いやぁ、なんか急にワクワクしてきました。
諏訪湖PAから見た夜景。
結構きれいです。
ここは温泉の町らし くお風呂もあるSAです。
おやきやごへいもちなどの
ファーストフードも充実( ̄¬ ̄) ズルル。。。
洗馬の道標と道祖神。
まっすぐが中仙道、木曽路。
洗馬…せばって読みます。この近くに湧き水があって昔、木曽義仲挙兵の際四天王の一人
今井兼平がここで落ち合い義仲の馬の足を洗った…という故事からこの地名が付いたんだって。
奈良井宿
標高940m。木曽路の中最も高いところにある奈良井宿。
かつて「奈良井千軒」と言われ木曽路一の賑わいを誇った宿場町。
手元に享保九年(んと、1724年かな?)の記録がありますが、
旅籠三十三軒、商家七軒、塗り物師四十四軒、檜物師九十九軒、他三十六軒…
1.2kmの町並みは街道指数100%。
朝早く着いたので駅前に駐車スペースがありました。駅からまず二百地蔵を目指しました。
JR中央本線開通のとき街道沿いにあった石仏を集めたもので、
ここから今通ってきた贄川に続く杉並木の旧街道は趣があります。
あとは町並みへ戻ってブ〜ラぶら。結構観光地化されてるので
わぁ〜わぁ〜きゃぁ〜きゃぁ〜言いながら歩けば楽しいっす。
旅籠…はたごって読める?
ず〜っと昔、旅の宿といえば食事なしで泊まる木賃宿しかなかったそうな。
一日分二合五勺の糒(ほしい)を持ち歩いて宿で薪を買い湯を沸かし糒を戻して食べてたんじゃと。
この薪代でとまる…木賃宿ってこと。馬のアオは荷物の他に自分のご飯も運ばんといけんし。
でもこれじゃ不便でしょ?
もともと‘はたご’って馬の飼料入れの籠のことで最初は馬のご飯だけを出してくれるようになって、
この宿が旅籠と言われてそのうちしたら人にもご飯を出してくれるようになったんだってさ。
今で言う素泊まりと一泊二食付きみたいなもんか?
ご飯を出すとなると人でもいるしってんで飯盛り女が生まれて
その中には遊女まがいの飯盛り女も結構いたそうで、
今で言う・・・みたいなもんか( ̄▽ ̄;)。
この日は祝日で朝早くからたくさんの観光客でにぎわってました。
でも、街道一の難所と言われる鳥居峠の入り口辺りはひっそり。
写真では解りにくいんですが黄色い山吹の花が満開です。
古の旅人もほっと一息ついたんでしょうかねぇ?
鳥居峠&藪原宿
ゆっくり時間があれば鳥居峠を歩いてみたかったんですが一泊二日ではちょっとね…
奈良井の町並みからR19に戻って新鳥居トンネルを越え、
右手にGSが見えたら右折して藪原宿へ。
中央本線をくぐって右手にまたGSがあるので右折。
木祖村公民館の敷地内、蒸気機関車の傍らに一里塚…の跡の碑。
贄川もそうだけど一里塚って石碑なんかと違って木が枯れてたらおしまいじゃない。
だからあまし残ってないんかね?ここから道なりに登っていくと薮原宿の町並み。
防火塀の跡、水場、本陣跡…お六櫛の問屋さん。
そうそう、野麦峠への追分も宿場のはずれにありました。
時間がないので車で行けるとこまで…ってがんばって鳥居峠へ。
木曽路は昭和47年前後に一大整備事業…かなんかあったみたい?
鳥居峠に向かう道筋にも割と新し目の道標。
宮ノ越宿
山吹トンネルを抜けて木曽川を二回渡ったら左折。宮ノ越宿へ。
ここは木曽義仲が二才のときから挙兵までの二十五年間過ごしていたところ。
木曽義仲…源義仲のこと。源頼朝の従弟にあたる人で『平家にあらずんば人にあらず』だった
平家を破り入京を果たし征夷大将軍までなった人。
再来年には大河ドラマで義経やるみたいなんでそこで詳しくやると思うけど、
結局義経(ってか、頼朝?)にやっつけられっちまうんよね。
ま、たかっちは歴史家ではないので義仲についてどーこーは言わないけど、
義仲や巴(御前)がこの地で遊び、育ったんだなぁと思うと、
それなりに感慨深くなっちゃったりなんかします。
宮ノ越の町並み
宮ノ越本陣跡
宿場のはずれにある一里塚跡瀬戸内海に大三島に大山祗神社があります。
国宝の武具甲冑の7割(…いや、8割だったかな?)
がここの宝物館にあるって社なんだけど、
ここに義経の刀とか弁慶の薙刀とかがあるのよ。
でガラスケースにしまわれてるんだけど
すぐ手が届きそうでなんかどきどきしたことがあります。
ん?あ、別に関係ない話しなんだけどね。