車尾、天万

いよいよ街道は日本海の宿場町、米子へ。…の前に手前二つの宿場に寄り道。
 溝口から日野川沿い次の宿場車尾を目指します。
何箇所か公営の舟場があったようですが雨が多い季節は何日も足止めされていたみたい。
上流は深いし、下流は広いし…ったくよぉ!って感じですかね?
とりあえず下流の熊党村〜車尾村の舟場、現在R9、日野橋を目指します。
国道には新日野橋があります。
旧日野橋は2000年10月の鳥取西部地震から通行止めになってました。
今はもう通れるのかしらね?この場所に初めて橋がかかったのは明治21年。
写真は当時の橋の親柱。

 
         日野橋、親柱                日野橋近く、線路脇のお地蔵さん

いきなり地名当てクイズpart2!今日の問題はこれだ!
‘車尾’…ったくなぁ、読めねぇよなぁ(TT)
これは‘くずも’と読むのじゃ。
後醍醐天皇がこの地の深田家へ立ち寄ったときに読んだ歌に由来するらしいのですが…
あ、この深田家の庭園は国指定の名勝と言うことなので興味がある人はどうぞ。
ちなみにたかっちは見たのですがいまいち良さが…(-_-;)

 
        日野橋より車尾宿を。                  車尾宿の町並み

 
  八幡、天万分れの道…票。。。    

昔の記述によるといったん日野川が洪水になると三日は足止めされた…らしい。
ったくよぉ、わしゃ急いどるんじゃけぇはよ行かしてくれんさいや!っつってもこればっかりはいけません。
何とか川を渡らずに行き来できる道はないもんか?
ということで三部から天万を通る道筋が使われるようになりました。
といってもこれは比較的新しいことのようで文久2年(1862)に天万は正式に宿場に認定されてます。
天万を通らずに長坂、鶴田地区を通る道筋もあったようです。

  
       池野地区の道標 二つ              天万、四ツ辻道標…慶応三年

  
会見町公民館駐車場道標…享保九年

   米子城下

二手に分かれた道が米子市内のここ博労町、
糀町辺りで合流します。
博労町一丁目の交差点には立派なお屋敷。
ここから北西に愛宕神社までまっすぐ伸びる
道が街道筋。
道笑町、茶屋町、塩町…。
城下町らしい町名が並んでます。
ちなみに…博労とは馬や牛の仲買人。
馬喰町も博労からきてるんだって。
も一つついで…糀町、麹町は国府路から
きてるそうです。
街道をちょっと外れて米子城へ。
山の上にあるので登るのに一汗かきますが
立派な石垣が残ってます。
加茂川沿いの蔵の町並みやあちこち古い建物がありますが今度またゆっくり訪ねたいです。
加茂川橋を渡って旧街道へ。
愛宕神社、桂住寺総泉寺などの立派な門を見ながら安来宿を目指します。

米子城址から市内を。
 
米子西高校の正門辺り…つつじが見事!
 


   安来宿

米子から松江まではR9沿いに走ります。
結構にぎやかな町が続くので新庄や勝山のようなブラぶら。。。っとできるところが少なくなってきます。
車で困るのが駐車場。
大きなショッピングセンターなどがあればいいんですが町並みまで遠かったりして…
知らない町で車置くとこ探してうろうろするのって神経使うし結構疲れます。
一通を逆行したり…(-_-;)


東小路の町並み
どじょうすくいで有名な安来節の町、安来宿。
昔の町並みを色濃く残すのは駅から
100mほど西に行った東小路、西小路辺り。
本町交差点の角にも立派な家が建ってましたが…
安来は米子と共に日本海側の重要な
港町だったところ。
米、鉄などの集積地として栄えたところ。
奥出雲たたらで作られる玉鋼を安来では
特にヤスギハガネと言ったんだそうな。
和鋼博物館の日刀保たたらの映像は圧巻!一見の価値ありですぞ。
東小路の突き当たりを西へまっすぐ街道は伸びています。
木戸橋の手前を左へ少し入ったところに清水寺分れのお地蔵さん。
さらに西へ200mのところに一里塚跡。新しい松の木が植えられていました。

清水寺分れの地蔵

安来一里塚
 

 

   出雲郷宿

出雲郷…いずもごう…ブッブゥ〜♪これ、絶対読めましぇん(T。T)
‘あだかえ’だってさ。近くに阿太伽夜神社ってのがあるからなんだろうけど…?
これと言って何にもないとこでした。本陣跡もこれと言って…

 
  国引き国体(1982)の記念に建てられた道標。         阿太伽夜神社分れ

東出雲町のガイド見てたら黄泉比良坂(よみのひらさか)では?
とされる伊賦夜坂ってのがすぐ近くにあるのね?
黄泉比良坂ってのは現世と黄泉の国の境にある坂…古事記なんかに出てくるんだけど、
今度行ったら見てこよ。石碑なんかもあるらしい…

  松江城下

姫路から遥々やってきました、松江城。
出雲街道が信仰の道と考えるなら出雲大社までがそうなんでしょうが、
とりあえずたかっちはここ松江を終点にしたいと思います。

で、なんで天守閣じゃないん?
この日、GWの真っ最中で駐車場とかもいっぱいで
走りながら車の中から撮った一枚。二の丸の中櫓です。
このすぐ下に大手門があって、
一応ここが出雲街道の始、終点。
松江の町はさすが島根県庁所在地だけあってにぎやか。
塩見縄手とか、お堀巡りとか観光地としても有名。
町のあちこちにかつて城下町としてにぎわった名残が。
が、しかしブラぶら。。。としてはありきたりの所じゃ
物足んないってんでこんなもの探してきました。

婦人会館駐車場道標

千鳥児童公園内道標
なんじゃ?松江市内から出雲大社へ向かう道標です。どちらの道標にも‘大社’の文字。
出雲大社に向かう道がこの辺りから出てたんでしょうなぁ?
出雲街道の出雲が出雲大社なのか、出雲国なのかっていったらやっぱり出雲国…なんじゃないかなぁ?
松江市周辺には出雲国府跡、出雲国分寺跡、出雲国造の祖であると言われる天穂日命創建と
伝わる神魂(かもす)神社、須佐之男命と櫛名田姫を祭る八重垣神社などなど、
どうみても出雲国はここだったんよね?ね、ね、伊達君?

京橋川沿いの町並み

塩見縄手、武家屋敷
   …写真がしょぼくてごめんなさい

出雲国府跡

さて、まとめです。
最初に姫路の青山を訪ねたのは1998年10月5日でした。
もう、5年も前なんですね。
あの頃…なんだかんだ言っても現実から逃げたい自分がいて、
別に出雲街道じゃなくてもどこでも良かったんです。
出雲街道をたどってみたいっていう思いは前々から持っていたんでとりあえず姫路城を目指しました。
地図を見てただだらだらと新宮の道の駅まで行き、そこでたまたま出雲街道展に出会いました。
街道の歴史や宿場、道標などを知ってどうしても歩いてみたくなりました。
そこでもう一度姫路まで戻り街道歩きを始めたわけです。
最近は旧街道歩きが流行ってるみたいで‘日本の街道’なんて雑誌も出てるくらいです)。
ちょうど先々週の日本の街道(2003、9、30号)が出雲往来でした。
いろいろな雑誌、本、資料などを見るたびに見落としていたものや、
見たはずなのに気にも留めなかったものがあって、何度も何度も通いました。
最後の最後に四十曲がりも制覇できたし。
いろんな方との出会いや感動があり、とても楽しい旅でした。
現実逃避で始めた街道歩きですが結局、自己再確認の旅になってしましました。
未来の道筋を構築することは、過去を振り返ることから…と気が付きました。
 ようやくこうやって書き終えることができてほっとしているやら、寂しいやら…
まぁ、時間があれば出雲街道にはこれからも通うでしょうけど(笑)。
別に誰かのためにやっているのではなくあくまでも自己満足のための街道歩きなので、
通うことも、ホームページに書くことも何度もやめようかな?と思いましたが中途半端ってやなので
結局なんとかがんばって一区切り…つけることができました。
ここまで飽きずに見てくれた方(…って、いるのかなぁ?)、ありがとうございました。
次回の連載にも乞うご期待(まだやるんかい!!)。
 あ、そうそう、たびたび登場してくれた伊達さんっていう方はうちのお客さんで
高校の社会の先生をしていらっしゃいます。
島根大学在学中に作られた出雲街道の資料を長い間貸していただきました。
とても助かりました。ありがとうございます。
返してあげるけん取りに来てね(…オイオイ)。
 …そいでわ。。。

         お・わ・り!!

 

 

 

 

 

                  木曽路