新庄宿と四十曲峠

ふぅ…って、何ため息ついとるんじゃい!!
いやぁ、ついにここまで来たか…って感じですね。
そもそも出雲街道に興味持ったのってこの四十曲峠だったんよね。
地図で四十曲峠見て、なんて読むんじゃろ?って。
で調べてるうちに出雲街道のことや、その他の中国山地を通ってる街道、
峠のこと知って、行ってみたいなぁ…と。
かれこれ10回位通ってるけど、何回行っても新しい発見があってやわらか
い風が吹いてて…うん、うん。。。うん?

こんな町並みが残ってるなんて…って思ったね。
町並み指数120%!!(笑)
 新庄の町は理屈抜きにいいです。
周りはぐるっと山に囲まれて、
まんが日本昔話しに出てくる‘村’って感じ。
今年の5月に訪ねたとき新見から日野を通らずに
直に新庄に出る道を通ったんですが
ほんと山の中からいきなり新庄に出る感じでした。
 江戸初期には6戸しかなかった村が元禄二年には四十二戸、
幕末には100戸になって、今でもその数はあまり変わっていないみたい。
約300mの町並みに本陣佐藤家、脇本陣木代家(写真)、がいせん桜…
道の両脇に水路があってその流れの涼やかな音・・・
(日本の音風景100選にも選ばれてるらしい…ってかそんな100選もあるとは…)。
その流れをせき止めたいけすに鯉。ええなぁ〜。。。

  宿場の東、六十六部塔(享保十三年)
 
          お地蔵さま

     縁側のある古いお家
 

        本陣佐藤家
あ、でもこの鯉ちゃんたち、
昔は旅人の夕食だったんだってさ…
( ̄▽ ̄;)昨年10月に行ったときは
なんかのお祭りみたいで焼きおにぎりや
山菜蕎麦、牛の丸焼きなんかをいただきました。
桜祭りのときとかも行ってみたいなぁ。
近くに道の駅メルヘンの里新庄があって、
そこでも地元のお野菜とか売ってます。
ここで買った干し椎茸は肉厚で
ぶち美味しかったです。
写真に写ってる桜並はがいせん桜といって、明治39年日露戦争の勝利を記念して
植えられたものだって。
手元のパンフによるとがいせん桜祭りは4月中旬の日曜日だそうです。
詳しくは新庄村役場(0867)56−2626まで…ってなんのこっちゃ。
 で、新庄の見所はここだけじゃないのだ!西の御幸橋を渡ったら国道に出る手前を左折。
すぐに国道と斜めに交差するけどまっすぐ行きましょ。しばらく行くと杉並木。
その周辺が後鳥羽公園(お役所らしい命名。)になってて
隠岐に流される後鳥羽上皇にまつわるしだれ栗や歌碑などの史跡があります。
も少し登れば嵐が乢。
ここから下ったところが二つ橋の集落。四十曲峠を控えてお茶屋さんがあったらしいです。

街道風情たっぷり杉並木

   後鳥羽上皇歌碑


     嵐が乢のお地蔵さん

ファーストトライ…11月午後4時。
    もうあたりは薄暗くて…
×
セカンドトライ…3月。
    残雪のため…
×
サードトライ。
    ザーザー大雨のため…
×
やっとの思いで四十曲峠に登ったのは
今年5月でした…
…何回もだめだった分感慨一入でしたね。
二ツ橋の道標の先を右折してしばらくは
舗装された道があるけどそこからは歩いていきます。
でもパジェロminiとかだと登れないことも
ないかなぁ…1km位なんで興味ある人はぜひ。
ここからいよいよ伯耆の国です。
四十曲峠も実は伯耆側のほうが険しいみたい。
少し下ってみたんですが途中道がなくなりそうだ
ったんで引き返しちゃいました。
そもそも四十曲峠とは40回曲がってる…
始終曲がってる…
の両方の意味だとか?
車で四十曲トンネルをくぐり伯耆側へ。
このトンネル出口にもお地蔵さん。


二ツ橋集落の六地蔵。

この先の分かれ道を右に…
        いよいよ四十曲峠へ。

四十曲峠を目指して…

      峠頂上より伯耆国を眺める

       峠越え、証拠写真です。。。

   現在の四十曲はトンネルをくぐって…

  トンネルを抜けた乢根の道しるべ地蔵

      乢根地蔵付近の旧街道
乢根の地蔵は探すの結構難しいっすよ。
トンネルの出口の右側2〜30mのところに
がけ崩れ防止のコンクリートがしてあるんだけど
これを登ります。
鳥取側から斜めになってるんで簡単に登れるよん。

 

  板井原宿

乢根から次の宿場、
板井原宿方面を望みます。
ここはもう伯耆の国。
一気に出雲に近づいたなって気がしてくるねぇ。
 高いところを走ってるのはR181。
下に細い道があるの見える?
まさに新旧揃み踏みですな。
高架橋を渡ったところにトンネル、S字カーブが
あってそこにドライブイン板井原があります。
ここの横の道からこの旧道に入れます。
S字カーブから1.5km位で板井原宿。
国道の左下にひっそりと集落があります。
四十曲峠を控えた伯耆側の宿場…
にしては小さな集落。
資料もあまりないのでよく解りませんが、
県指定の江戸後期の建物なんかも
あるみたいです。
今は酒屋さんが一軒あるくらい。
写真を撮ってると
『なぁ〜んにも撮るもんあるまぁ〜〜がぁ、
 がぁっはっははぁ。』
と、おばあちゃん。。

板井原宿の町並み

高架橋下の旧道
出雲街道では珍しい馬頭観音。
勝間田の岡地区にもあったっけ?
結構新しい、昭和廿三年建立…

   根雨宿&周辺

いきなり!たかっちの地名当てクイズぅぅぅ!!
今日問題はこれだ!
‘高尾’…さて、なんて読むでしょう?
関東の人は間違いなく‘たかお’って読むよね?でも違うんだなぁ。
では正解を伊達君(だから、誰やねん?)、どうぞ!
これ‘こお’って読みます。では、第二問!
‘金持’これは?
正解は‘かもち’です。読めんよなぁ、普通。
あ、板井原から下ってくと国道沿いに金持神社があります。
なんでも全国に一つしかない名前の縁起のいい名前の神社でお金持ちになりたぁ〜い!
人や、宝くじ当たりたぁ〜い!人などがたくさん参拝に訪れるんだってさ。
じゃ、
‘金持饅’これはなんて読むでしょう?‘かもちまん’?
正解は…リッチマンって、こぉらぁ〜〜!!おもしろいじゃねぇか!!(笑)
金持神社のお土産売り場に売ってます。
ここからさらに下ると高尾。ここにも道標がある…はずなんだけど…
駐在所の奥さんに聞いても見たことないって。
ここから備後に向かう日野往来が分岐しています。
そうそう、時間があればR180を新見方面へ。
明地トンネルの手前から見える大山はすごいです。ぜひぜひ。。。

今ね、地図見て思ったんだけど
高尾の道標って探してた場所、全然違うんじゃない?
もしかして日野病院の近くなんじゃ?
今度行くことあったらそっち探してみよ。
あと、根雨宿の手前にはずらっと並んだお地蔵さん。
道路改修のとき山の中にあったのを道端に
並べたそうです。

根雨宿の町並み

いったいいくつ並んでいらっしゃる?
根雨の町並みもいいですなぁ。水路や水車の音も清々しい。
鉄の商いで賑わったという町らしく見るからに豪商!って感じの家や本陣の門、
祗園橋を渡った根雨神社から見る町並みも、これまたいい!

根雨宿本陣…この日たまたま門が開いてました。
   地図はクリック!

   二部、三部

根雨の町を過ぎて川を渡ります。
この辺りの字は‘舟場’。
昔は渡し舟があったんだろね。
ここで疑問??
根雨から二部っていうとこへ向かうんだけどその途中
間地乢(まじだわ)っていう峠越えがあります。
え〜〜!マジだわ〜〜!・・・(^_^;)
その後溝口に出るんだけど地図をよ〜く見てごらん?
なんで川沿いに溝口に出んかったんじゃろ?
疑問を抱きつつとりあえず二部へ。
途中間地トンネルの手前から右へ旧街道。
峠付近には峠地蔵や茶屋跡があるそうですが
たかっちはパス!
なんでって?そりぁ、もう峠はいいじゃろ…(-_-;)
県道46号の信号の手前の左の
橋を渡ったところに道標。

二部宿道標 嘉永五年…1852年建立。

二部宿の町並み…立派な屋根の本陣足羽家
二部の町はひっそり。
古い町並みはあまり残ってませんが雰囲気はいいです。ここ二部にも後醍醐天皇の伝説があるみたいです。
なんじゃ、こりゃぁぁ?う…うんこ?いやいや…
金の母とかいて‘ヒ(けら)’と言うものですな。
二部公民館の前に大きなさびた鉄の塊。
ここ二部はたたら製鉄の盛んなとこだったらしい。
たたらの炉床が発見されたり、
水田の中から質の良くない破棄されたヒが
発見されたり…
これはその失敗作のヒの一部です。
公民館の前から勝手に一欠け持って来ちゃいました
(;¬_¬)
二部から黒坂に向かう途中の福岡と言う地区には
でっかい製鉄所なんかもあったみたいです。
で…あ、そうか!!だからなんですね、
出雲街道が二部を通ったわけ。
根雨の鉄商、近藤家や美甘の茶屋にあった
鉄の卸問屋跡…
出雲街道はやはり‘鉄の道’なんですな。 
街道は三部と言う地区で二手に分かれます。
もともとは溝口に向かう道筋時をとったみたいだけど、川伝いは洪水などで足止めされることが多く、
三部から天万を経由して米子に出る道が利用されるようになったみたい。

     三部道標地蔵…つつじがきれい。
   
       
地図はクリクリ。。。

   溝口宿

とりあえず溝口宿に。県道46を道なりに。
日野川を渡る所に鬼守橋。ここで回れ右!山の上にでっかい鬼。
溝口にはニッポン最古の鬼伝説ってのがあるそうであちこちで鬼を見かけます。
鬼のトイレ、鬼の電話ボックス、ブロンズ鬼etc。このでっかい鬼は鬼ミュージアムの鬼。
R181を渡って一本東の通りへ。ここが出雲街道。
商店街の駐車場に車を止めさせてもらいました。
お客さん以外は駐禁なんでおやつとジュースくらいは買いましょ。
溝口の町並みはだいぶ都会化されててにぎやか。
街道に対して家がみんな斜めに建ってます。これ、お互いの家の中が見えないように
ってんでこんな建て方なんだそうです(プライベート、プライベート)。
町の北はずれに大山分れの道標。

 
     ・・・おっ!                      溝口の町並み

 
       大山分かれの道標 ってどれが?(^_^;)